10/6 野麦の館~野麦峠~野麦の館
幼い頃、「あゝ野麦峠」という映画を観た記憶があります。おぼろげです。たしか、雪・・養蚕・・・あどけない大竹しのぶ・・・・そんななか鮮明に憶えているシーンがひとつだけあります。工女たちが繭から糸を紡ぎながら、蚕のサナギをパクッ、パクッとつまみ食いしてたんですよね。今思えば、貧しい時代の貴重なタンパク源だったんだろうなと冷静に受け止められますが、あれは衝撃的でした。せっかく野麦峠を歩くのだから、映画を観直してから~と思うも、レンタルも販売もされておらず。そんなもんなんだな~
明治大正時代、富国強兵政策のもと、飛騨の若い女性(子供含む)たちも養蚕で国の経済を支えていました。飛騨から野麦峠を越え、信州の製糸工場まで出稼ぎに向かったそうです。彼女たちがそこを往来したのは真冬、雪に埋もれた道なき道を、草鞋履きでラッセルしたのでしょう。その道の一部である、野麦集落~野麦峠(旧野麦街道)が当時のまま残っており、そこを歩いてきました。条件、装備、心構えが違いすぎますが。

野麦とは笹の実のこと

乗鞍岳
この景色だけは当時と変わらないはず

過去に思いを馳せ、しっぽり歩きをしたのも始めのうちだけで、
ホコリタケを見つけては叩きまくる夫(43歳)。ホコリを全部出したいのだそう。

特大サイズのベニテング!15㎝オーバーでした。